読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

英語実況の和訳のテンション

日本人メジャーリーガーが活躍するようになり、日本でも試合の様子が放送されるようになってきました。

特にスポーツニュースではメジャーリーグがたびたび取り上げられ、その活躍にスポットライトが当てられています。そして実況にも日本語訳がなされていて、我々にもしっかり伝わるようになっています。

あるニュース番組を見ていた時の話です。

その試合では日本人選手が縦横無尽の活躍をしていて、そのプレーひとつひとつをフォーカスして報道されていました。

守備の際に、物凄く鋭い送球でランナーを刺した映像が流れました。その時の実況です。

「こいつぁ、たまげたぜ!」

バッティングでも活躍を見せます。ライト線を抜ける打球で、三塁打となりました。その時の実況です。

「マジで信じられないぜ!」

次の打席でも塁に出ると、鮮やかに盗塁を決めました。その時の実況です。

「もう誰にも止められないぜ!」

私は何となくその実況の和訳を見ていましたが、ふと違和感を感じました。

なんだこの和訳はと。

確かに英語と日本語を完全に通訳することは不可能だと思います。微妙なニュアンスの違いなどはどうしようもない部分があるのも事実です。

しかし

「こいつぁ、たまげたぜ!」

とか

「マジで信じられないぜ!」

とか

「もう誰にも止められないぜ!」

とか、そんな言い方しますかねと。完全に「日本人が決めつけてるアメリカ人像」で和訳しちゃってませんかと問いたい。問い詰めたい。小一時間問い詰めたい

と、そんなことを思っていたのですが、よくよく考えてみると

「これはすごい送球です!」

とか

「ナイスバッティングです!」

とか

「今日の彼は止められません!」

などと日本風の和訳をされたら、それはそれでメジャーリーグのダイナミック感が損なわれるような気もします。

そう考えるとやはりアメリカンな和訳は必要なのかもしれません。というわけでテレビ関係者の方々へお願いです。

これからもマジでクールな和訳で頼むぜ!


陰毛は必ず増殖する

居酒屋でトイレに行ったときの話です。

私が用を足しにトイレに行くと、小便器の上に2本の陰毛がありました。ちょろん、ちょろんと佇むそれは、なんとも不思議な力強さを放っていました。

──なぜここに陰毛が

とっさにそう考えましたが、そんなことは考えるまでもありません。恐らく誰かがむしってそこに置いたのでしょう。私はその光景を不思議に思いながらも、そのままにしてトイレを後にしました。

少し時間が経ち、お酒も進み、ほろ酔いで上機嫌になったところで再びトイレに行きました。

陰毛が5本になっていました。

──なぜ陰毛が増えたのか

とっさにそう考えましたが、そんなことは考えるまでもありません。誰かがむしってそこに追加したのでしょう。私は用を足しながらその光景をしばらく眺め、そしてこの場を立ち去りました。

そして宴もたけなわな時間帯になったので、我々はお会計をすることにしました。今日もいい酒だったなあと余韻に浸りながら、店を出る前にトイレに向かいます。

陰毛が山積みになっていました。

──なぜ陰毛が山積みに

とっさにそう考えましたが、そんなことは考えるまでもありませんでした。この山は、今日という日をここで過ごした男たちの努力の結晶であり、気高く、ただそこに力強くそびえ立っているだけなのです。

私はなんだかいてもたってもいられない気持ちになってしまい、気付いたらこの誇り高き山の頂上に、自分のそれを一本のせていました。なんだか、胸を張りたい、そんな気持ちになりました。

その後、その山がどうなったのかを、私は知りません。


扉の向こうに人がいます

「扉の向こうに人がいます」

こう書かれた扉をよく見かけます。私が勤めている会社のビルも階段部分は重い鉄扉が使われているため、このような表記があります。

ただ弊社ビルのその表記で一点おかしいのは、普通は“扉の押し手側”にその表記があるべきなはずなのに、“扉の引き手側”にそれが書かれているのです。

おわかりになられますでしょうか。

本来この表記は「勢いよく扉を開けたら、向こう側に人がいるかもしれないので気を付けてくださいね」という意味のはずなのに、弊社においてはその意味がなされていないのです。

引き手側に「扉の向こうに人がいます」と書かれていますが、勢いよく開けたとしても扉の向こうの人には何の影響もないわけです。

こうなってくると何が起こるかといいますと、扉の押し手側の人は向こうに人がいるということをあまり意識せず、結構な確率で勢いよく開けてしまうのです。

それはある朝のことでした。

私は基本的にエレベーターではなく階段を使うようにしているのですが、その日の朝も、社員の出社時間が重なる兼ね合いもあり、エレベーターホールには大量の人が並んでいました。

そんな人々を横目に私は「朝から並ぶだなんて、とても可哀想な人たちだなあ。それにひきかえ、私は爽やかに階段を駆け上る、なんて健康的な男なんだ!」と愉悦に浸っていました。

そしていつものように階段を使おうとすると、例の「扉の向こうに人がいます」の文字が見えました。いつ見ても意味のない表記だなあと思いながら扉を開けようとしたその時です。

物凄い勢いで開いた扉が、私のキ◯タマを直撃したのです。

男性なら、ドアノブを自分の方へ引いて身体(股間)を前進させたところに、扉のカドが直撃した苦しみをわかってもらえるかと思います。

私は悶絶しました。無意識に「おおふっ」という変な声も出てしまいました。唯一の救いだったのは、その開けた相手が可愛い若手女性社員だったということです。

彼女は「だだだだだいじょうぶですか!」と駆け寄ってきましたが、私は紳士的な態度で「ああ、大丈夫さ」と爽やかに答えました。(これはこれでご褒美のようなプレイだと自分で自分を納得させました)

それからというものの、私は「扉の向こうに人がいます」という表記を「物凄い勢いで開くことがあるから気をつけてね」と解釈できるようになりました。

そう考えると、引き手側にこの表記があることも意味があるように思えるのでした。


割り勘をする淑女たち

ある休日の昼下がりでした。昼食を食べようとお店に入ったのですが、あいにく店内は満席のようで「あと10分程で席が空きます」とのことでした。私はそのくらいだったらいいだろうと待合席で座っていると、四人の淑女が食事を終えて会計をしている姿が見えました。

その場のお会計は2700円だったようで、淑女たちは割り勘をしようとしていたのですが、ここのお店は「一括でのお支払いをお願いします」というスタンスでした。

しかし淑女たちは「4等分にしてもらえないかしら」と強く懇願します。お金の問題ですから、そこはしっかりするのは当然でしょう。ですが、やはりお会計は一括でという姿勢は崩れず、そうこうしているうちに淑女のひとりが財布を取り出して「とりあえず私が出しておくわ」と言いました。

すると別の人が「いいのよ先生は!ここは私たちが出すわ」といった感じに、先生が出した財布をカバンにしまわせました。見た感じは同世代に見えますが、どうやら習い事の先生と生徒の関係のようです。

そして生徒と思われる淑女が一括で支払ったのですが、四人の淑女はその場で「ひとりあたりいくらかしらねえ」と割り勘の議論を始めました。

「ししち、にじゅうはちでしょう?」

と別の淑女が言いました。しっかりと先生の分もカウントして計算していました。

「ししち、にじゅうはちよねえ」

また別の淑女も言いました。またもや先生はカウントされています。

「ししち、にじゅういちじゃないかしら?」

いよいよ計算が間違い始めて、一体何のことだかわからなくなってきました。

「やっぱり、ししちにじゅうはちだわ」

別の淑女がそう言って、全員が納得したところで、四人は満足そうに店を出て行きました。その後ろ姿と歩調は心なしか自信に満ち溢れていて、その勇ましさに尊敬の念すらおぼえる程でした。

しかし私は思いました。

あのやり取りは一体何だったのだろうかと。

その後、四人の淑女がどういう割り勘をしたのか、私にはわからないのでした。




自分のおならについて

私は人よりもおならの回数(総排出量)が多いような気がします。他の方がどれ程されるかわからないので何とも言えないかもしれませんが、歩いている時や電車に乗っている時、会議の最中でもいつも「ああ、おならしたいなあ」と考えているような気がします。(もちろん人のいないところでは好き放題やっています)

そんなおならですが、肉を食べたり酒を飲んだ次の日は回数が多いのはもちろんのこと、そのニオイがなかなかに強烈になります。なんといいますかね、あの腐敗臭というか発酵臭というのは結構すごいですよね。

そしてこのおならというものは、他人のものだととても不快に感じます。それが例え美人のお姉さんが排出したものでも、くさいものはくさいんですよ。(堀北真希さんのでしたら、嗅いでみたいですが)

先述したとおり私はおならの排出量が多く、なおかつ肉も酒も大好きなので結構くさい方だとは思います。

でも、なんというかですね、ちょっとあまり大きな声では言えないんですが、ここだけの話にしておいて欲しいのですが、私、自分のおならは嫌いじゃないといいますか、むしろ好きというか、愛おしいというか、ぶっちゃけ積極的に嗅ぎたいんですよね。

ここで私を変態と罵るのは簡単ですが、果たしてそれは正しいことなのでしょうか。自分の胸に手を当てて聞いてみてください。自分のおならのにおいを愛おしいと思ったことがないと言い切れますか?

断言しましょう。答えはノーです。

我が身から生まれた「おなら」という存在は「我が子」と同義なのです。よく「目に入れても痛くない」と我が子を可愛がる表現がありますが、自分のおならについても「鼻に入れてもくさくない」ということが言えるんですよ。

しかし不思議なことに、その事実について話題に上がることはほとんどありません。おならはくさいものとして扱われるだけで、皆が心の中で思う「自分のおならに対する愛しさ」だったり、「無意識に握りっ屁をして嗅いでしまう」という当然の行為について話すことはタブーとされています。本当はみんなやってることだということ、私はわかっています。

また「出来の悪い子ほど可愛い」とはよく言ったもので、それについても「くさいおならほど可愛い」というふうに置き換えることができます。

そうして今日も私は出来の悪い我が子のにおいをかぎながら、「オッ、今日もなかなかシブいにおいしてるねぇ〜」と悦に浸るのでした。


歯医者で目覚めた新しい私

歯医者のことを好きだという人はあまりいないのではないでしょうか。あの独特なにおいや機械音を想像しただけでも鳥肌が立つという方は多いかと思います。

私は奥歯のさらに奥に生える「おやしらず」が4本とも生えそろったことがあり、しかしそれはどれもまっすぐ生えていないため、すべて抜歯をしなければいけない状態でした。ただ不思議なことに4本同時に痛むことはなく、昨日は右下、今日は左上といったように、私を気遣うように日替わりで攻めてくれる、気のきいたおやしらずでした。

そうはいっても痛いものは痛いので、私は意を決してこのおやしらず達を全て駆逐することにしました。そうと決めたら早速予約を取って、その日は定時で上がって歯科医院に行くことにしました。

すぐに会社の近くの歯医者へ到着しましたが、やはり大人になってもあの場所へ行くのは緊張します。歯を削るウィーンという音は人間の深層心理をえぐりますね。私はおしっこをちびりそうになりながらプルプルと待合室で待機していました。

そしてついに「キムラさんどうぞー」の声が聞こえてきました。緊張のあまり「ハィン!」という少し上ずった声で返事をした私を、歯科助手さんは優しく迎え入れてくれました。少し勇気が出ました。

口をゆすいでしばらく待ってると、筋肉モリモリのいかつい歯科医師さんがやってきました。腕なんかはもうパンパンで、ピタっとした白衣ははち切れんばかりです。私は思いました。「ああ、力任せに歯をもぎ取られるんだ」と。そして「もう、ひと思いにやってくれ」と。

私が口を大きく開くと、針の太い注射でブスッと麻酔を打たれて、次第に口の中の感覚がなくなっていきました。コブシを強く握りしめながらプルプル震える私を、歯科助手さんは「痛くないですからね♡」と優しく励ましてくれました。この時点で「これは新手のプレイかな?」と私は再び勇気を取り戻すことが出来ました。

そしておやしらずの抜歯手術が始まると、ムキムキの歯科医師さんはペンチような無骨な道具で私のおやしらずをガッチリと挟みました。その鍛えられた逞しい腕に血管がはっきりと浮かんでいるのを見て「ああ、これはアゴごと持っていかれるな」と冷静に考えていました。

私がそんなことを考えていると、先生がゴリゴリと私のおやしらずを攻め始めました。ゴリゴリというか、ゴキゴキという音が脳内に聞こえてきます。麻酔をしているとはいえ、鈍い痛みは伝わってきます。ゴリゴリ、ゴキゴキ、ゴキゴキ…痛ッ…痛たたッ…痛たたたッ…?

(あれ、これはなかなか悪くないぞ…?)

私は自分の思考を疑いました。私は正常な人間なので、痛いことはもちろん嫌いです。しかし湧き上がるこの感情は何でしょう。込み上げるこの想いは何でしょう。私は確かに思ったのです。これはなかなかいいもんだぞと。

そしてマッスル先生が力任せにゴリっと抜いてくれたおやしらずのあとには、ぽっかりと穴があいてしまいました。私は半ば放心状態でこの快楽の余韻に浸っていました。そしてしばらくして、ああ、楽しい時間は終わってしまったんだなと悲しくなりした。

しかし先生の「今日抜いたところが落ち着いたらまた来てくださいね」という言葉に私は救われました。なんとも嬉しい言葉じゃないですか。私は再び勇気を取り戻したのです。まだやれる…俺はまだやれるぞと。

こうして新たな何かに目覚めた私はおやしらずを抜くことに喜びを覚え、歯医者へ行く日は少し小躍りして会社を出るようになりました。(まるで恋に浮かれる女学生のようです)

それ以来、歯科助手さんの「痛くないですからね♡」という言葉にも「ははは、痛くしてくれても大丈夫ですよ!」と、非常にゆとりある気持ちで臨むことが出来るようになりました。

しかし、そんな幸せな時間にも終わりはやってきます。4本目のおやしらずを抜いたあとの「はい、これで終わりですね」という先生の言葉は、禁じられた遊びの終わりを告げるものでした。私はその夜「ああ、もう抜くものがないんだ」と、ひとり枕を濡らしました。

それからもう何年経ったでしょうか。今となっては、あの禁じられた遊びは幻だったようにも思えます。おやしらずを抜いたあとにぽっかりあいた穴は、今ではもう完全に塞がっています。

ただ、私の心にぽっかりとあいた穴は、生涯塞がることはないでしょう。


おみやげよろしくね

私が嫌いな言葉のひとつに「おみやげよろしくね」というものがあります。旅行に行くことが決まって友人や職場の人にいうと必ずいわれるアレです。

なんでしょう、脊髄反射的いっちゃう感じなんでしょうかね。多分そこに本人の意思はないのだと思います。「明日来てくれるかな?」といわれたら「いいとも!」と答えるのと同じような感じですかね。

ここまでは別にいいのですが、おみやげを買ってきた後の工程に問題があるような気がするのです。あれだけ「おみやげよろしくね!」なんて言っておきながらいざ渡すと「今ダイエット中だしな〜。あ、○○さんいります?」なんて他の人にあげたりする人がいるんですよ。何ですかその鮮やかなスルーパスは。世界のナカタ気取りですかと。

挙げ句の果てには「後でいただきますー!」なんて引き出しに入れたまま忘れて、年末の大掃除の時に「あー!賞味期限切れたお菓子でてきた!これやばいですキムラさん(笑)」なんて言っちゃってですね。よく見てみるとそれは私が買った「博多とおりもん」ではないですか。この際、私の気持ちとかはどうでもいいです。しかし博多とおりもんに対してはちゃんと謝罪してもらえませんかね!

そして一番衝撃的だったのは、私が渡したおみやげを陰で「うわーこれ嫌いなんだよね」といってる事を聞いてしまったのです。私だって好きで買ったわけじゃないんですよ。でも、そこの名物ってそれしかなかったんですよ(地名は控えます)。わかってますよ私だって。それあんまり美味しくないって。でもあなたいったじゃないですか。「おみやげよろしくね」って。その言葉に責任を持ちなさいよ!

そんなわけで私は脊髄反射的に「おみやげよろしくね」といっちゃう人が嫌いになりました。もっと「旅行楽しんでね!」とか、そういう言葉をかけれる人になってもらいたいものです。

そういえばつい先日、会社の後輩が夏休みで海外旅行に行くという話を楽しそうにしていました。私は無意識的にいっていました。

「おみやげよろしくね」と。